「だから何?」という核弾頭

今日、ふと思った。
「だから何?」という言葉は、核弾頭なのではないかと。
例えば、あなたが今、一番情熱を注いでいることがあるとする。 仕事でもいい。趣味でもいい。
人生をかけた夢でもいい。
友人やパートナー、仕事仲間に向かって、そのことを熱く語る。 なぜそれをやろうと思ったのか。 どんな未来を目指しているのか。 どれだけ苦労してきたのか。
そうしてひとしきり話したあと、相手が一言こう言う。
「だから何?」
これだけで、人間関係は終わる。 少なくとも、その瞬間に、心のどこかは焼け野原になる。
もちろん、本人に悪気はないのかもしれない。 論理的な人なら、「結局、何が言いたいの?」という意味で使っただけ、ということもあるだろう。
けれど言葉は、発した側ではなく、受け取った側で意味が決まる。
だから私は、人前で話すときや文章を書くとき、できるだけ言葉の定義を意識する。 この言葉を、どんな意味で、どんな意図で使うのか。
それでも、誤解はなくならない。
というより、言葉という性質上、誤解は避けられない。
だから人は、言葉では伝えきれないものを表現するために、芸術を生んだのだと思う。
踊りは、言葉にできないものを、身体で伝えようとする試みだ。
文学ですら、言葉そのものを伝えているわけではない。 言葉が呼び起こす感情や情景を通して、本当に伝えたいものへ近づこうとしている。
言葉にした時点で、虚偽である。
本当に伝えたいものと、実際に口にした言葉のあいだには、いつも小さな断絶がある。
その断絶を通して、人は知らず知らずのうちに誰かを傷つける。 あるいは、自分自身を傷つける。
それが積み重なって、心や身体の不調につながることだって、あるのかもしれない。
だからこそ、自戒を込めて思う。
「だから何?」は、使ってはいけない言葉ではない。
ただ、使う場所を間違えると、一瞬で相手の世界を焼き払ってしまう。
まるで核弾頭のように。
だから、そのボタンを押す前に、一度だけ考えたい。
——本当に今、その言葉は必要だろうか、と。



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