あと何回、一緒に夏を過ごせるだろう

今日、八月十三日からお盆が始まった。
迎え盆である。
午前九時頃、お義父さん、妻、私、そしてお義父さんの妹夫婦と一緒に、お墓参りへ行った。
⸻
お墓参りといっても、遠くまで出かけるわけではない。
私たちの家は、お寺と神社に挟まれた場所にある。
家から歩いて数分で、妻の母親や祖父母が眠るお墓に着く。
東京に住んでいた頃には想像もできなかったほど、お寺も神社も、そしてお墓も近くにある。
⸻
お義父さんは、前日から準備をしていた。
お墓を掃除する。
たくさんの花を買う。
家の玄関もきれいにする。
昨夜、夕食を食べている時には、
「俺は明日、忙しい」
とつぶやいていた。
その言葉通り、朝からずっと動いていた。
⸻
お参りするのは、近所のお墓だけではない。
亡くなったお義母さんの母親が眠るお墓にも行くという。
本当は、朝七時頃に向かうつもりだったらしい。
けれど、お墓や玄関の掃除に時間がかかり、予定通りには出られなかった。
そこで、まず私たちと近所のお墓へ行き、その足で別のお墓へ向かっていった。
迎える側にも、ずいぶんやることがある。
⸻
お墓参りを終え、家へ戻ってしばらくすると、今度は隣のお寺のお坊さんが来た。
毎年、八月十三日には、家でお経を読んでもらうことになっている。
昨年は新盆だったため、私たちがお寺へ行き、法要を行った。
今年からは、迎え盆のたびにお坊さんが家へ来て、お経を読んでくださるのだろう。
⸻
神社の隣に住む。
歩いてお墓へ行く。
お寺から、お坊さんが家へ来る。
東京で暮らしていた頃には、どれも自分の日常とは遠い出来事だった。
けれど、ここでは神様も仏様も、驚くほど近くにいる。
信仰について深く考えているわけではない。
それでも、季節が巡れば墓を掃除し、花を供え、お経を聞く。
目に見えないものと、生活が自然につながっている。
⸻
私たち夫婦は、このあと東京へ向かう。
東京で用事を済ませ、そのまま神奈川の相模大野に泊まる予定である。
明日の朝八時半に、私の母を病院へ連れていかなければならないからだ。
診察の予定が朝早く、千葉から向かうのは難しい。
そのため、今夜は病院に近い場所へ泊まり、明日の朝、母を迎えに行くことにした。
⸻
ほんの二、三年前の私なら、こうしたことをすべて煩わしく感じていたかもしれない。
お墓参りをする。
お坊さんを迎える。
前日にホテルへ泊まり、朝早く母を病院へ連れていく。
予定を合わせ、移動し、待つ。
自分の時間が削られていくように感じていたかもしれない。
けれど、今は少し違う。
⸻
私たちに残されている時間は、有限である。
あと何回、一緒に夏を過ごせるだろう。
あと何回、一緒に正月を迎えられるだろう。
最近は、それを意識しながら、両親と過ごすようになった。
「生きているうちが花」とは、よく言ったものだと思う。
大切な人と過ごせる時間の尊さには、できることなら、生きている間に気づいた方がよい。
⸻
一緒に墓参りへ行くこと。
食卓を囲むこと。
病院へ付き添うこと。
同じ夏を過ごすこと。
来年のお盆も、今いる家族が誰一人欠けることなく、また一緒に迎えられたらと思う。



コメント