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また4人で来ると思っていた

8月18日
読了時間: 4分

昨日、いつもとは違う日帰り温泉へ行った。


家から車で20分ほどの場所にある。


初めて訪れる温泉ではない。


以前、お義父さん、お義母さん、妻、そして私の4人で来たことがある。



あれは、おそらく2011年だったと思う。


ブエノスアイレスへ移住する前だったのか。


それとも、2012年に一時帰国し、酒々井の家に泊めてもらった時だったのか。


正確な時期は思い出せない。


けれど、それは今回の話では、それほど重要ではない。


私が覚えているのは、4人でその温泉を訪れ、昼にそばを食べて帰ったということだけである。



お義父さんとお義母さんは、2人とも山登りが好きだった。


2人にとって温泉とは、山の中に湧く、本物の源泉かけ流しの湯だった。


長く浸かっていられるぬる湯。


手つかずに近い自然の中にあり、少し野性味の残る温泉。


山を歩いたあとに入る、そうした湯こそが、2人にとっての温泉だったのだと思う。



だから、設備の整った一般的な日帰り温泉施設には、あまり興味を示さなかった。


温泉が嫌いだったわけではない。


むしろ、2人なりの温泉に対する基準が、はっきりしていた。


近所につくられた日帰り温泉施設は、2人にとって、わざわざ出かけるほどの場所ではなかったのだろう。



それでも、あの日は4人で出かけた。


せっかく4人がそろっているのだから、


「近所に温泉があるんだし、皆で行ってみよう」


おそらく、私がそんなことを言い出したのだと思う。


妻に話し、2人にも付き合ってもらい、4人で出かけることになった。



当時の私は、まだ車の免許を持っていなかった。


行きたいと思っても、1人で行くことはできない。


誰かに車を出してもらわなければ、その温泉へ行くこともできなかった。


4人で車に乗り、駐車場に車を止めた。


温泉に入り、そばを食べ、家へ帰った。


それだけの1日だった。



何か特別な出来事があったわけではない。


誰が何を話したのかも覚えていない。


おそらく、お義父さんとは一緒に温泉へ入ったはずだが、その時の様子も思い出せない。


お義母さんが何を食べたのかも覚えていない。


私の記憶に残っているのは、4人でそばを食べたという場面だけである。


それほど、何でもない1日だった。



当時の私は、またいつか4人で来るのだろうと思っていた。


家から車で20分ほどの場所である。


遠くにあるわけではない。


予約もいらない。


行こうと思えば、いつでも行ける。


だから、また来る機会はいくらでもあると、高をくくっていた。



ところが、あれから10年以上、その温泉を訪れることはなかった。


これほど近くにあるのに、1度も行かなかった。


そして、お義母さんはもういない。


4人で同じ温泉へ行き、同じテーブルでそばを食べる日は、2度と訪れない。


あの日が最初で最後になるなど、当時の私は夢にも思っていなかった。



昨日、私は1人で車を運転し、その温泉を訪れた。


かつて4人で来た時と同じ駐車場に車を止めた。


今の私は免許を持っている。


行きたいと思えば、1人で来ることができる。


1人で温泉に入りながら、以前ここへ4人で来たことを思い出した。



当時の記憶が、もっと鮮明に残っていればよかったと思う。


4人で交わした会話。


お義父さんと入った温泉。


お義母さんの表情。


食事をしながら話したこと。


けれど、ほとんど何も覚えていない。


あの日が特別な1日になるとは、思っていなかったからだ。


私にとっては、これから何度でも繰り返すはずの、ただの日常だった。



考えてみれば、日常とは、そういうものなのかもしれない。


私たちは、今日と同じような日が、明日も続くと思っている。


また会える。


また一緒に出かけられる。


また同じ食卓を囲める。


けれど、私たちが過ごしているひとつひとつの瞬間は、決して同じ形では戻ってこない。


昨日、1人で温泉に浸かりながら、そんなことをふと思った。



あの時は、4人だった。


また4人で来るものだと、私は思っていた。

 
 
 

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