また4人で来ると思っていた

昨日、いつもとは違う日帰り温泉へ行った。
家から車で20分ほどの場所にある。
初めて訪れる温泉ではない。
以前、お義父さん、お義母さん、妻、そして私の4人で来たことがある。
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あれは、おそらく2011年だったと思う。
ブエノスアイレスへ移住する前だったのか。
それとも、2012年に一時帰国し、酒々井の家に泊めてもらった時だったのか。
正確な時期は思い出せない。
けれど、それは今回の話では、それほど重要ではない。
私が覚えているのは、4人でその温泉を訪れ、昼にそばを食べて帰ったということだけである。
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お義父さんとお義母さんは、2人とも山登りが好きだった。
2人にとって温泉とは、山の中に湧く、本物の源泉かけ流しの湯だった。
長く浸かっていられるぬる湯。
手つかずに近い自然の中にあり、少し野性味の残る温泉。
山を歩いたあとに入る、そうした湯こそが、2人にとっての温泉だったのだと思う。
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だから、設備の整った一般的な日帰り温泉施設には、あまり興味を示さなかった。
温泉が嫌いだったわけではない。
むしろ、2人なりの温泉に対する基準が、はっきりしていた。
近所につくられた日帰り温泉施設は、2人にとって、わざわざ出かけるほどの場所ではなかったのだろう。
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それでも、あの日は4人で出かけた。
せっかく4人がそろっているのだから、
「近所に温泉があるんだし、皆で行ってみよう」
おそらく、私がそんなことを言い出したのだと思う。
妻に話し、2人にも付き合ってもらい、4人で出かけることになった。
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当時の私は、まだ車の免許を持っていなかった。
行きたいと思っても、1人で行くことはできない。
誰かに車を出してもらわなければ、その温泉へ行くこともできなかった。
4人で車に乗り、駐車場に車を止めた。
温泉に入り、そばを食べ、家へ帰った。
それだけの1日だった。
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何か特別な出来事があったわけではない。
誰が何を話したのかも覚えていない。
おそらく、お義父さんとは一緒に温泉へ入ったはずだが、その時の様子も思い出せない。
お義母さんが何を食べたのかも覚えていない。
私の記憶に残っているのは、4人でそばを食べたという場面だけである。
それほど、何でもない1日だった。
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当時の私は、またいつか4人で来るのだろうと思っていた。
家から車で20分ほどの場所である。
遠くにあるわけではない。
予約もいらない。
行こうと思えば、いつでも行ける。
だから、また来る機会はいくらでもあると、高をくくっていた。
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ところが、あれから10年以上、その温泉を訪れることはなかった。
これほど近くにあるのに、1度も行かなかった。
そして、お義母さんはもういない。
4人で同じ温泉へ行き、同じテーブルでそばを食べる日は、2度と訪れない。
あの日が最初で最後になるなど、当時の私は夢にも思っていなかった。
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昨日、私は1人で車を運転し、その温泉を訪れた。
かつて4人で来た時と同じ駐車場に車を止めた。
今の私は免許を持っている。
行きたいと思えば、1人で来ることができる。
1人で温泉に入りながら、以前ここへ4人で来たことを思い出した。
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当時の記憶が、もっと鮮明に残っていればよかったと思う。
4人で交わした会話。
お義父さんと入った温泉。
お義母さんの表情。
食事をしながら話したこと。
けれど、ほとんど何も覚えていない。
あの日が特別な1日になるとは、思っていなかったからだ。
私にとっては、これから何度でも繰り返すはずの、ただの日常だった。
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考えてみれば、日常とは、そういうものなのかもしれない。
私たちは、今日と同じような日が、明日も続くと思っている。
また会える。
また一緒に出かけられる。
また同じ食卓を囲める。
けれど、私たちが過ごしているひとつひとつの瞬間は、決して同じ形では戻ってこない。
昨日、1人で温泉に浸かりながら、そんなことをふと思った。
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あの時は、4人だった。
また4人で来るものだと、私は思っていた。



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