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カラダナオル誕生秘話(2)──京都、嵐山、そして父という人について

  • 執筆者の写真: Admin
    Admin
  • 5月25日
  • 読了時間: 4分
カラダナオル代表の松岡祐紀です。前回の記事「『無私の心を持っている』──カラダナオル誕生秘話(1)」では、20代の頃に出会った苛烈な整体師の話を書きました。今回はその先、私の家族の話、特に父について書いてみたいと思います。

京都の嵐山に生まれて


出身地を訊かれて、「京都の嵐山」と答えると、たいてい羨ましがられる。


ただ、実際住むと京都は盆地なので夏は蒸し暑く、冬は底冷えする。それほど住み心地がいい土地ではない。


今でこそ世界的な観光地となったが、自分が生まれた50年ほど前は、本当に田舎だった。


東京育ちの母と、京都への嫌悪


だから東京で何不自由なく育った母は、京都を忌み嫌っていた。


「京都の水はまずい。」

「京都の店は美味しくない。」

「京都人は本当にズケズケくる。」


などとよく文句を言っていた。それほどの罵詈雑言を京都に対して言っているのを聞いていたが、個人的には好きな土地ではある。


母は東京の永福町の裕福な家で生まれ、お嬢様育ちだったので、結婚を機に京都に引っ越したのがまず気に入らなかった。


私が14歳まで京都に住み続け、姉が高校に入るタイミングで父を残して三人で東京へと引っ越した。


それ以来、母は京都に戻ったことはない。父と別居している16年間も含めて、2度と京都へ戻ることはなかったので、京都ヘイトは本物だ。


「無私の人」と呼ばれた父


無私の人間となぜか整体師に評価された父だが、確かにいつも「社員のため、兄貴のため」が口癖だった。


父の兄が京都の百貨店の娘婿として見合い結婚をしたので、その手伝いに呼ばれて父はその百貨店に転職した。


ガチ昭和世代なので、仕事一本槍で、幼い頃は父の姿を見ることは少なかった。彼は自分の人生においてレアキャラだった。


それでも口を開くと、「おれが育ててやった」感を出してくるので、疎ましく思っていたわけだ。


兄に尽くした40年


いずれは独立起業する予定だったらしいが、ずるずると先延ばしにして、結局定年退職するまで勤め上げた。


最後はその兄と絶交するような形になったらしいが、詳しいことは知らない。


婿養子としていきなり専務、すぐに社長になったはいいが、仕事はたいしてしてなかったらしい。バブルの時代、ロスとシドニーにビルを買って60億ほどの不良債権を作って、会社を倒産に追いやるぐらいの功績を残したことぐらいしか知らない。


あとは愛人に会社の実権を握らせて、会社をめちゃくちゃにしたことなどを風の便りに聞いているくらいだ。


家族以外の誰かに尽くす、という生き方


そんなダメ兄に40年近く尽くしたのだから、無私というのも冷静に考えれば頷ける。


父はなぜか他人のために尽くすが、家族は放っておいた。


「兄貴のため、社員のため」と言ってはいたが、「家族のため」という発想はなかった。それも昭和だからか。


家族以外の誰かを指さして、「こいつに尽くせ」と言われたら、うっかり40年ほど尽くしてしまいそうで怖い。


はたから見ていても、あんなダメ人間の実の兄に生涯尽くすとは、本当に尋常なことではない。兄の何分の1かの給料で、休みなしに働いていた。


人格が破綻している整体の先生に狙われるのもうなづけるほどの人の良さだ。


次回(3)に続きます。


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▼ シリーズ「カラダナオル誕生秘話」


第1回:「無私の心を持っている」──あの先生が唯一褒めた人の話

第2回:京都、嵐山、そして父という人について(← 今ここ)

第3回:近日公開


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▼ カラダナオルについて


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