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一番、実際に起こりそうな世界の終わり

8月17日
読了時間: 4分


昨日は日曜日だった。


久しぶりに、ゆっくりと過ごせる休日だった。


先日の大雨は、この地域にも大きな被害をもたらした。


けれど、近所を歩いてみると、大きな被害を受けた家はほとんど見当たらない。


ほんの少しの高低差によって、結果が分かれたのだろう。


時々利用するスーパーマーケットの周辺は、一時、水に浸かったと聞いた。


被害を受けた店舗の中には、今日から営業を再開したところもある。


少しずつ、日常が戻り始めている。



昨日はどこへ出かけることもなく、家で過ごした。


夜、私が本を読んでいると、妻がNetflixで映画を見始めた。


私は特に興味がなかった。


けれど、同じ部屋で目の前の画面から映像と音が流れてくれば、どうしても気になる。


気がつけば、私も一緒に見ていた。



映画は、ジュリア・ロバーツとイーサン・ホークらが出演する『[終わらない週末](https://www.netflix.com/jp/title/81314956)』だった。


私は、作品について何も知らなかった。


最初は、都会を離れて休暇を過ごす家族を描いた、普通の人間ドラマだと思っていた。


ところが、少しずつ様子がおかしくなっていく。


携帯電話がつながらない。


インターネットも使えない。


大型タンカーが、海岸へ向かって止まることなく進んでくる。


飛行機が墜落する。


自動運転のテスラが、次々と不審な動きを見せる。


大量の鹿が現れ、フラミンゴが家のプールで泳いでいる。


書き出してみると、かなり多くの異変が起きている。



それでも、この映画には派手なパニック映画という印象がない。


世界の終わりを描くのであれば、大都市が崩壊する様子や、逃げ惑う群衆を映すこともできただろう。


けれど、この作品は世界全体をほとんど見せない。


何が起きているのかも、最後まではっきりと説明しない。


観客に見せられるのは、通信を断たれ、外部から孤立した一軒の家と、そこに集まった二つの家族だけである。



借りた別荘で休暇を過ごしていた家族。


そこへ突然現れた、その家の持ち主だと名乗る二人。


年齢も違う。


人種も違う。


考え方も違う。


昨日までなら、深く関わることのなかった人たちである。


世界の状況がわからないまま、彼らは同じ家にとどまることになる。



相手を信じてよいのか。


家族を守るためには、何をすればよいのか。


持っている情報を、どこまで伝えるのか。


食料や安全な場所を、誰と分け合うのか。


世界の終わりという極端な状況を使いながら、この映画が描いているのは、人と人との間にある警戒心や信頼なのだと思う。



劇的な事件が次々と起きるというより、閉ざされた空間の中で会話が続いていく。


そのため、どこか演劇を見ているようにも感じられた。


世界では何か重大なことが進行している。


けれど、登場人物にも観客にも、その全貌はわからない。


入ってくるのは、断片的な情報だけである。


だからこそ、不安が少しずつ膨らんでいく。



ジュリア・ロバーツも、よい年齢の重ね方をしていた。


『プリティ・ウーマン』の頃とは、当然ながらまったく違う。


苛立ちや警戒心を隠さず、時に身勝手で、それでも必死に家族を守ろうとする女性を演じている。


誰からも好かれる主人公ではない。


だからこそ、その言動には妙な現実味があった。



映画を見終えると、妻が言った。


「これまで見た世界の終わりを描いた映画の中で、一番リアルだったかもね」


そして、


「一番、実際に起こりそう」


と続けた。



世界の終わりは、大きな爆発から始まるとは限らない。


先日の大雨でも、ほんの少しの時間と場所の違いによって、帰宅できた人と、何時間も動けなくなった人がいた。


いつもの道が通れない。


いつもの店が開かない。


それだけでも、私たちの生活は簡単に揺らいでしまう。


世界の終わりまでいかなくても、日常の外側は、思っているほど遠くない。



派手な場面が続く映画ではない。


最後まで、すべての答えが示されるわけでもない。


それでも見終わったあと、静かな不安が残る。


もし本当に何かが起きるとしたら、私たちは映画の登場人物と同じように、何が起きているのかわからないまま、その日を過ごすのかもしれない。


一番、実際に起こりそうな世界の終わり。


妻の感想が、この映画を最もよく表しているように思った。


 
 
 

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