top of page
検索

中年の悲哀

8月31日
読了時間: 4分

昨日、中国人の友人とタンゴを踊りに行った。


彼女は、とても気が利く人である。


私が中国語を勉強していると知ってから、できるだけ中国語で話してくれるようになった。


お互いに英語を話せるので、本来なら英語の方が彼女にとって楽なはずだ。それでも、私の勉強に付き合うため、わざわざ中国語で話してくれる。


そんな関係で、時々一緒にタンゴへ行く。


彼女は目黒に住んでいる。帰る方向が合うときには、車で送っていくこともある。


昨日も現地で待ち合わせ、二人で踊りに行った。



その日の会場は、かなり混み合っていた。


私はもともと、次から次へと多くの人と踊る方ではない。踊っている人たちを眺めながら、座っている時間も長かった。


最後のタンダくらいは、彼女と踊ろうと思っていた。


ところが、その直前に、あるアルゼンチン人の男性が彼女に声をかけた。


一瞬、彼女に何か伝えた方がよいのではないかと思った。


しかし、時すでに遅し。


彼女はその男性と踊り始めた。


私は踊らず、近くにいた男性の友人と四方山話をしていた。



会が終わり、彼女が車に乗り込むなり、こう言った。


「今日は全部のタンダが完璧だったと思ったのに。最後の最後で、全部ぶち壊された」


そして、まくしたてるように、その男性への不満をぶちまけた。


「抱きしめ方が強すぎる。私ができないことを分かっているのに、次々と難しいことをリードしてくる。本当に嫌だった」


よほど不快だったのだろう。


いつも冷静な彼女の言葉が、帰りの車内では止まらなかった。


私は、やはり踊る前に注意しておくべきだったと後悔した。



その男性は、東京のタンゴ界に長くいる人物である。


私はなるべく関わらないようにしてきたので、個人的に深く知っているわけではない。


ただ、以前から、彼が同じように女性へ声をかけている姿は何度も見てきた。その振る舞いについて、あまりよくない話を耳にしたこともある。


少なくとも、その夜の彼女にとっては、楽しい時間をつくってくれる相手ではなかった。


そのことだけでも、先に伝えておけばよかった。



帰りの車内では、中国語をやめて英語に切り替えた。


私の中国語の勉強には、いつも根気よく付き合ってくれる。


けれど、複雑な事情や微妙な人間関係を説明するには、今の私の中国語では足りない。


そこで、日本のタンゴ界のことや、踊る相手をどのように見極めればよいかを、英語で少し詳しく話した。


彼女も、いろいろと思うところがあったようだった。


そして、もう彼とは踊らないと言った。


短い帰り道だけでは十分に話せなかったので、今度あらためて説明する必要があるかもしれない。



その男性は、見たところ50歳近いだろう。


私と、ほとんど同世代である。


20年前なら、同じような方法でも女性を魅了できたのかもしれない。


若さがあり、アルゼンチン人というだけで珍しがられ、多少強引なリードも「情熱的」と受け取られた時代があったのだろう。


しかし、20年は長い。


その間、日本人だけでなく、世界中の人たちがタンゴの経験を積み、踊りのレベルを上げてきた。


女性たちも、さまざまな相手と踊り、自分にとって心地よい踊りが何かを知るようになった。


昔と同じやり方が、今も通用するとは限らない。


少なくとも彼の踊りは、彼女を魅了するものではなかった。最後のタンダを台無しにしただけだった。



50歳近くになっても、昔と同じように女性へ声をかけ、同じ方法を繰り返している。


周囲は変わり、女性たちの見る目も、タンゴの水準も変わった。


それでも、自分だけは20年前と同じ場所に立ち続けている。


その姿を、私はただただ哀れだと思った。


彼の事情を知りたいとも、関わりたいとも思わない。今後も距離を置くだけである。


「最後の最後で、全部ぶち壊された」


家に着いてからも、彼女のその言葉が残っていた。

 
 
 

コメント


​© 2026 KaradaNaoru

bottom of page