予知夢について
- Admin
- 6月16日
- 読了時間: 2分

昔から予知夢を見る。 特に顕著だったのは思春期の頃だ。
あの頃は毎日のように見ていた気がする。
ただ、予知夢といっても大げさなものではない。
見るのは半年後や一年後の日常の一コマだ。
誰かと話している場面だったり。 どこかを歩いている場面だったり。
本当にありふれた光景ばかりだった。 だから夢を見た時点では特に印象にも残らない。
そしてそのまま忘れてしまう。
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ところが半年後や一年後。 ある瞬間に気づく。
「あれ、この場面を知っている」 と。 夢で見た通りの景色。
夢で聞いた通りの会話。
夢で感じた通りの空気。
そんなことが何度も起きた。
おそらく多くの人が似たような体験をしているのではないかと思う。 ただ忘れているだけなのかもしれない。
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最近は年に数回程度しか見ない。
それも以前ほど鮮明ではない。
だから妻に話すと、 「ただのデジャブでしょう」 の一言で終わる。
もし今くらいの頻度だったら、私もそう思ったかもしれない。
だが思春期の頃は違った。 頻度も多かったし、もっと鮮明だった。
だから当時の私は結構悩んだ。
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ある時、自分が持っていたパソコンを売る夢を見た。
しかも値段まで覚えていた。
あまりにも印象的だったので、ノートに書き残した。
そのこと自体はすっかり忘れていた。
ところが半年ほど経った頃。 実際にそのパソコンを売ることになった。
売れた金額が、夢で見た金額とまったく同じだった。
その瞬間、夢のことを思い出した。
家に帰り、机の奥にしまってあったノートを引っ張り出した。
そこには確かに、その金額が書かれていた。
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正直、あまり嬉しくなかった。
むしろ少しげんなりした。
どう転んでも未来は決まっているのではないか。
そんな気持ちになったからだ。 それ以来、夢を書き留めることをやめた。
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今はきっと色々な未来が転がっており、同時多発的に進行しているのだろうと思う。
パラレルワールドは量子力学の理論でもある程度は証明できる。
ただ今となってはそんなことすらどうでもいい。
目の前にあることを最大限の努力で取り組めば、素晴らしい未来が待っていると思っている。 そういう存在のあり方の方が大事だと思い至ったからだ。
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