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子どもを、所有物にしない

  • 執筆者の写真: Admin
    Admin
  • 7月1日
  • 読了時間: 2分

以前、九州の施術会に呼んでいただいたことがある。

二日間にわたって、二十数名の方を施術した。


いろいろな方に来ていただき、本当にありがたかった。

その中に、七十代の男性がいた。


その方が、ご自身の娘さんについて、こう言った。


「うちの娘は、反抗期なんです」

ほう、と思った。


よく聞いてみると、娘さんはすでに四十代だった。



もちろん、親にとって子どもはいくつになっても子どもなのだと思う。

それは、わからなくもない。


小さかった頃の記憶。

手を引いて歩いた記憶。

心配した記憶。


そういうものは、簡単には消えない。

けれど、子どもは親の所有物ではない。


親の延長でもない。

たとえ自分の子どもであっても、まったく別の人格である。



親は、子どものことをよく知っているようで、実は知らない。

もちろん、長く見てきたからこそわかることはある。


けれど、完全にはわからない。

その人が何を感じているのか。


何を選びたいのか。

何を苦しんでいるのか。

どこへ向かおうとしているのか。


それは、本人にしかわからない部分が必ずある。



親がいつまでも、

「親」

という役を強く握りしめると、

子どももまた、

「子ども」

という役を演じ続けることになる。


親が支配しようとする。

子どもが反発する。

親が心配する。

子どもが距離を取る。


そのやり取りが、いつのまにか一つのロールプレイになってしまう。

そして、その役割の中で、親も子も苦しくなる。



子どもを大切に思うことと、

子どもを自分の思い通りにしたいと思うことは違う。

心配することと、

信頼することも違う。


愛しているからこそ、手を放す必要があることもある。

見守ることは、何もしないことではない。

相手の人生を、相手のものとして尊重することだと思う。



子どもは、親の作品ではない。

親の答え合わせでもない。

親の人生の続きでもない。


一人の人間として、この世界に生きている。

そのことを、親がどこかで受け入れられると、

親も少し楽になる。


子どもも少し楽になる。

そういう親子が、少しでも増えたらいいと思う。


もっと自由に。

もっと楽しく。


それぞれの人生を、それぞれのものとして生きられたらいい。

 
 
 

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