幸せは、背負うことでは広がらない

明日、藤原直哉先生との対談を行う。
タイトルは、
「見えない世界と、これからの日本」
である。
この数日、対談で何を話すのか、ずっと考えてきた。
複素数モデル。
3次の影響力。
身体と意識。
これからの日本。
扱いたいテーマはいくつもある。
けれど、準備を重ねるうちに、すべての中心にあるのは「幸せ」ではないかと思うようになった。
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明日は、会場に集まった皆さんへ、最初に問いかけようと思っている。
「今の自分の幸せは、100点満点で何点でしょうか」
ただし、いきなり数字を決めてもらうわけではない。
まず、自分はどのような時に幸せを感じるのかを考えてもらう。
家族と過ごしている時。
仕事がうまくいった時。
おいしいものを食べた時。
自分の存在が、誰かの役に立った時。
何もせず、静かに過ごしている時。
幸せの形は、人によって違う。
同じ人の中でも、年齢や環境によって変わっていく。
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少し前まで、私にとっての幸せは、自分の可能性を広げることだった。
世界中を旅したい。
英語を話せるようになりたい。
スペイン語を身につけたい。
世界中の人と、直接コミュニケーションを取りたい。
その願いに従って、約70カ国を旅した。
アルゼンチンとメキシコに暮らし、英語とスペイン語を、ほとんど不自由なく使えるようになった。
言い方は悪いかもしれないが、かなり自分勝手に、自分のやりたいことを優先して生きてきた。
けれど、それは私にとって必要な時間だった。
自分の人生を生きたからこそ、今は自分が何を得るかより、身につけたものを誰かに渡すことへ関心が向いている。
施術をする。
研修生へ伝える。
学んだ人が、自分の場所で仕事を始めるのを支える。
幸せが大きくなったというより、その重心が少しずつ自分の外へ移ってきたのだと思う。
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ただし、他者のために生きることと、他者の人生まで背負うことは違う。
先日の継続会では、参加者の背中や胸に現れている緊張を見ていった。
仕事の責任。
家族への心配。
親の健康。
子どもの将来。
相談相手の苦しみ。
責任感があり、優しい人ほど、自分の荷物だけでなく、身近な人の荷物まで背負っている。
本人は、誰かのためにしているつもりである。
けれど、その結果、自分の身体が重くなり、呼吸が浅くなり、眠れなくなることもある。
自分が倒れてしまえば、誰かを支えることもできない。
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私は以前から、
「人が人を治すのは、おこがましい」
と思っている。
人には、それぞれの身体がある。
それぞれの意識がある。
それぞれの人生がある。
施術者が、その人に代わって人生を生きることはできない。
家族であっても同じである。
親には親の道がある。
子どもには子どもの道がある。
相手が転ばないように、先回りして石をすべて取り除くことが、本当にその人のためになるとは限らない。
できるのは、相手の力を信じること。
必要な時に手を差し出すこと。
そして、自分自身の身体と人生を整えておくことなのだと思う。
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自分を大切にすることは、身勝手なことではない。
自分の身体が整えば、呼吸が変わる。
表情が変わる。
声の調子が変わる。
人への接し方が変わる。
同じ言葉を使っていても、焦っている人から発せられる言葉と、落ち着いている人から発せられる言葉では、相手に届くものが違う。
人の状態は、その人だけの中で完結していない。
幸福や安心が、人間関係のネットワークを通じて広がる可能性を示した研究もある。
何が伝わっているのかは、まだ単純には説明できない。
言葉なのか。
行動なのか。
表情なのか。
それとも、その人がそこにいる時の、場の空気なのか。
おそらく、そのすべてなのだろう。
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だから、他人を幸せにしようと背負い込む前に、自分が少し幸せになる。
自分の身体を休ませる。
自分が本当に望んでいることを考える。
必要のない責任を下ろす。
誰かの人生を、自分が何とかしなければならないという考えを手放す。
自分の幸せを追求することによって、その状態が周囲へ伝わっていく。
その方が、誰かの荷物を無理に取り上げるよりも、遠くまでよい影響が届くのかもしれない。
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明日の対談が終わった時、参加された皆さんの幸福度が、1点でも上がっていたらと思っている。
難しい理論を、すべて理解してもらう必要はない。
すべての質問に、答えを出す必要もない。
自分の身体を、もう少し大切にしてみよう。
自分にとっての幸せを、もう一度考えてみよう。
隣にいる人と、少し話してみよう。
何かひとつでも持ち帰っていただければ、それでよい。
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幸せは、誰かの人生を背負うことで広がるのではない。
まず、自分の身体を整える。
自分の人生を、自分で生きる。
その姿を見た誰かが、少しだけ楽になる。
幸せは、そうやって静かに広がっていくのだと思う。



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