母としかできない話

昨日は、母の検査に付き添った。
妻も一緒に来てくれた。
昨年、母の身体に異変が起きて以来、立ち上がることが次第に難しくなっていた。
歩けないというよりも、椅子から立つという動作が、うまく身体につながらないように見える。
原因をはっきりさせたいという母の希望もあり、脳神経外科や神経内科を受診した。
MRIや認知機能の検査も受けた。
結果は、異常なしだった。
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ある程度、予想していた結果ではあった。
身体に明らかな異常があるというよりも、母は立ち方や身体の動かし方を忘れてしまっているように、私には見えていたからだ。
それでも母の不安は、決して軽いものではなかった。
去年、「息ができない」と電話連絡してきて、夜中に救急車に運ばれて緊急入院をした。それからこの月1回の病院参りが続いている。
検査で異常が見つからないからといって、本人が感じている苦しさまで、なかったことにはできない。
だから、母が納得するまで検査を受けることも必要だったのだと思う。
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すべての検査が終わったあと、妻が言った。
「何も異常がなくて、よかったですね!」
そのとおりである。
原因が見つからなかったことに戸惑いはあっても、脳や神経に重大な異常がなかったことは、心から喜ぶべきことだ。
これからは原因を探し続けるというよりも、母の話をよく聞き、身体の状態を見ながら、できることを続けていけばよい。
最低でも月に1回は時間をつくり、母の身体を見て施術をしようと思っている。
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病院を出たあと、母と妻と私の3人で昼食を食べに行った。
特別なことを話したわけではない。
食事をしながら、子どもの頃によく会っていた母の友人たちの話になった。
その中に、私たちが「デコおじちゃん」と呼んでいた人がいる。
子ども心にも、どこかいい加減な人だと思っていた。
ある日、一緒に松ぼっくりを拾いながら、
「これは東急ハンズに売れるんだよ」
と話していたことを覚えている。
実際に東急ハンズに関係する仕事もしていたようだが、結局、何の仕事をしていた人なのか、私にはよく分からなかった。
親が資産家だと聞いていたので、それほど苦労することなく、自由に生きていたのかもしれない。
今はまったく交流がない。
どこで何をしているのかも分からない。
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こうした昔話をできる相手は、母と姉くらいしかいない。
デコおじちゃんのことを覚えている人も、少しずつ少なくなっていく。
自分の記憶の中には残っていても、それを共有できる相手がいなくなれば、その出来事はどこか現実味を失ってしまう。
「そんな人、いたよね」
「あの時、こんなことを言っていたよね」
そう言い合えること自体が、実はとても貴重なのだと思う。
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妻の母は、昨年、突然亡くなった。
妻には、もっと親孝行をすればよかったという後悔が残っている。
その姿を身近で見てきたからこそ、母と会える機会は、できるだけ逃さないようにしたいと思っている。
親孝行といっても、大げさなことをする必要はないのかもしれない。
病院に付き添う。
一緒に食事をする。
昔の知り合いについて、他愛もない話をする。
昨日も、ただそれだけの1日だった。
けれど、ずっと先の未来に、ふと思い出すことがあるかもしれない。
母と妻と私の3人で昼食を食べ、デコおじちゃんの話をして笑った日のことを。



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