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父の死について。

9月17日
読了時間: 3分

父が亡くなった。


3年前に大腸がんになり、大腸全摘で骨と皮だけになっても、手術後わずか3週間で自力で歩くことができるほど回復した人があっけなく逝ってしまった。




83歳だった。


父の亡くなり方を見ると、緩慢な自殺という言葉が思い浮かぶ。




それはネガティブなものではなく、もう十分に生きたという証だ。




亡くなる2、3ヶ月前からソファに座っていても、いつの間にか居眠りをすることが多くなった。食事量も減り、さらに以前から水はほとんど取ってもいない。




ただ、元気に酒とタバコだけはやっていた。


両方、10代からやっているから筋金入りだ。




先週の金曜日に母から、「ずっと吐き気をすると言っている。」と聞いた姉と私は心配になった。




そこで姉は父を病院に連れて行き、吐き気止めと点滴を打ってもらい、私は食べやすい水炊きと雑炊を作りに行った。




母は相変わらず足腰が弱く、自分のこともままならないので、我々二人が協力した。




翌日の土曜日も吐き気がおさまらず、心配した姉と私は大きな病院に連れて行くことにして、結局救急車を呼んだ。




父は母から「救急車を呼ぶ?」と聞かれたら、「アホか。」と答えたらしい。


昭和なのだ。




病院で血液検査、胃カメラなどをしてひと段落ついた。


特に血液検査は長年の飲酒の影響が全くなく数値的には問題なかった、肝硬変などの事態を予想していたが、そんな心配は杞憂に終わった。




とりあえずは一安心と思い、私は土曜の夜にタンゴを踊りに行った。


久しぶりに友人たちと再会し、踊りよりも話が弾み、かなり遅い時間になったので車で友人を送った。




目黒に着いたのは深夜1時半になろうかという時だった。


そこで妻から連絡があった。




「お父さんの心臓が・・・・」と聞いて、すぐに入院している神奈川の病院へと車で向かった。




着いた時にはすでに亡くなった直後だった。


母と姉、それに姉の家族は3、4分前に着いたばかりらしく、急な亡くなり方に戸惑いを覚え泣いていた。




そこで私はわざと明るい調子で、「大往生だね!このまま入院して退院しても、もう絶対禁酒だったから、それはいやだっただろうし。」と言った。すると母が「そうだよね、最後の最後まで好きなお酒飲めたし、よかったね。」と言った。




血液検査の結果では肝臓の数値は問題なかったが、腎臓は3割ほどしか機能しておらず、脱水症状が見られた。




これからは水割りではなく、水を飲む生活が待っていたわけだ。




父は高度成長時代を経験し、バブルで浮かれ、バブル崩壊で全財産を失い、それでも老後は私や姉が色々なところを連れて行った。財産が弾けても、私が住む場所を用意し、姉がよく世話をした。




去年の夏に両親と私たち夫婦で横浜のクラブフロアに宿泊し、クラブラウンジで夕方から一緒に飲んだ。父は午後5時半から深夜0時半までウイスキーロックを飲み続けた。




あとから母に言わせると、「嬉しくて調子乗って飲みすぎたのよ。」と言っていた。今年も連れて行きたかったが、母の状態がそれどころではなくなっていた。




これからは年老いた母の面倒を見ないといけないし、心配の種は尽きない。しかし、父はいい人生を送ったと思っている。それが家族の総意だ。


幸せな人だ。


 
 
 

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