運命は決まっているのか
- Admin
- 6 日前
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あれは、まだ私がこの仕事を始めたばかりの頃だった。
その男性は、一度だけサロンに来られた。
脳梗塞の後遺症を、少しでも改善したい、ということだった。
けれど結局、その後お会いすることはなかった。
だから、今どうされているのかは分からない。
ただ、その方から聞いた話だけは、今でも忘れられない。
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その男性が脳梗塞で倒れたときのことが、また特殊だった。
知人のお見舞いのために、ある病院を訪れた。
その駐車場から出たところで、突然倒れたという。
しかも、偶然というには出来過ぎているのだが、
その病院には、日本でも名の知れた脳外科医が勤めていて、
その医師が、執刀にあたったそうだ。
手術は無事に成功し、しばらく入院したのち、退院した。
ここまでなら、よくある話である。
問題は、その後だった。
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彼は退院してから、人のオーラが見えるようになったという。
赤や、青や、黄色。
人によって、色はさまざまだったらしい。
私は、そういう能力の真偽を判断するつもりはない。
ただ、臨死体験に近い経験をすると、何か感覚が変わる人がいることは、確かにある。
だから彼の話も、頭から否定する気にはなれなかった。
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ある日、友人に誘われて、寿司屋へ行った。
ふと、大将のオーラを見た。
その色だけが、無色透明だったという。
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「そんなこともあるのかな」
その時は、それだけだった。
寿司は旨かった。
友人とも、楽しい時間を過ごした。
そして、帰宅した。
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翌日。
一本の電話がかかってきた。
「昨日の寿司屋の大将、バイク事故で亡くなったらしい。」
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彼は、言葉を失った。
昨日まで元気だった人が、突然亡くなった。
しかも自分は、その前日に、無色透明のオーラを見ていた。
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それ以来、外出するのが怖くなったという。
また、同じものを見てしまったらどうしよう。
もし見えてしまったら、何かできるのではないか。
いや、何もできないのではないか。
そんなことを、考え始めるようになったらしい。
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私はこの話を聞いて以来、ずっと考えていることがある。
運命というものは、本当に決まっているのだろうか。
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末期の病気の人が亡くなる。
それなら、まだ分かる。
身体に、何らかの変化が起きているのかもしれない。
しかし、事故は違う。
事故は、偶然のはずだ。
誰にも予測できないはずだ。
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にもかかわらず、その男性は前日に、何かを見ていた。
そして翌日、その人は亡くなった。
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もちろん、偶然かもしれない。
人間は意味を見つける生き物だから、
たまたま起きた出来事に、物語を与えているだけなのかもしれない。
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それでも私は、時々考える。
人生には、「決まっている部分」と「決まっていない部分」の、
両方があるのではないか、と。
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現実として起きる出来事。
そして、その奥に流れている、見えない何か。
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どちらが正しいのかは、分からない。
おそらく、一生分からないだろう。
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もし自分が、同じ立場だったら、と考える。
きっと私は、首を突っ込まずにはいられないだろう。
ただ、そうすることで、かえって事態を悪くしてしまうかもしれない。
結局は、堂々巡りだ。
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ただ、一つだけ言えることがある。
未来のことを、どれだけ考えても、
明日は、まだ存在していない。
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運命を信じるのも、自由だ。
可能性を信じるのも、自由だ。
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しかし結局、
私たちに与えられているのは、
今この瞬間だけなのだと思う。
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明日を変えようとする前に、今日を生きる。
未来を心配する前に、今を味わう。
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それが結局、私たちにできる、唯一のことなのかもしれない。
そして、それだけで、十分なのかもしれない。



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