銀座の焼肉と、退屈な自由について
- Admin
- 5月29日
- 読了時間: 3分

今日の夜、銀座でセルヒオと焼肉を食べにいく。
より正確に言うと、焼肉をご馳走になりにいく。
セルヒオは年に一度くらいのペースでメキシコから日本へやって来る。そして毎回のように、美味しいものをご馳走してくれる。
彼とはもう十年以上の付き合いになる。
最初に出会ったのは、私がメキシコシティに住んでいた頃だ。
当時は今ほど親しかったわけではない。ただ、会えばよく話をしたし、二人でバーへ飲みに行ったこともある。
どちらかと言えば、ゆっくりと時間をかけて友人になっていった関係だ。
当時、私にはアビマエルという親友がいた。
ある日、彼が少し自嘲気味にこんなことを言った。
「メキシコの金持ちはね、親も金持ちなんだよ」
メキシコには相続税がない。
そのため、一族が築いた資産がそのまま子や孫へと受け継がれていく。
セルヒオもその例外ではない。
親から受け継いだ資産があるので、生活のために働く必要がない。
だから彼はいつも世界中を旅している。
美味しいものを食べ、美味しいワインを飲み、好きな時に飛行機に乗り、好きな国へ行く。
多くの人が羨ましいと思うだろう。
だが私は、彼を見ていて時々少し気の毒になる。
もちろん彼は親切で、知的で、ユーモアもある。
だが、どこか退屈そうなのだ。
そして時折、ほんの少しだけ不幸そうにも見える。
人はお金さえあれば幸せになれるわけではないのだと思う。
むしろ、人を支えているのは、
「明日やるべきこと」
なのかもしれない。
意義のある仕事。
好きな仕事。
誰かに必要とされること。
生活が成り立つ程度の収入があり、その上で夢中になれる何かがある。
そのくらいが、人間にとってちょうどいいのではないか。
最近は特にそう思う。
AIが発達し、多くの仕事が自動化されていく。
これからの時代、人間はますます「何をするか」を問われるようになるだろう。
面倒な仕事はAIが引き受けてくれる。
その代わり、人間はもっと創造的なことや、人と関わることに時間を使うようになるのかもしれない。
もし私に莫大な資産があったらどうだろう。
たぶん仕事は辞めない。
むしろ今よりもっと働くかもしれない。
最近は仕事をしている時間が楽しい。
施術をしている時も、文章を書いている時も、人と話している時も、時間を忘れることがある。
以前、別の資産家の友人に、
「有り余る資産があって羨ましいですね」
と言ったことがある。
すると彼女は笑いながら、
「資産なんて、程々でいいわよ」
と言った。
その時はよく分からなかった。
だが今なら少し分かる気がする。
お金持ちにはお金持ちなりの苦労がある。
貧乏人には貧乏人なりの苦労がある。
どちらかが楽というわけではない。
セルヒオを見ていると、それを思い出す。
世界中を旅し、美味しいものを食べ、自由に生きている。
その姿は確かに楽しそうだ。
だが、その自由の奥に、言葉にならない退屈や虚しさが見えることがある。
もちろん、それは私の勝手な想像かもしれない。
ただ、人生はまだ長い。
セルヒオもまだ六十代だ。
これから先、一生をかけて打ち込める仕事や、生き甲斐に出会うかもしれない。
もしそうなったら、私はきっと自分のことのように嬉しい。
今夜はそんなことを考えながら、銀座で焼肉をご馳走になってくる。



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