「築地の先生」と、見えない世界の話
- Admin
- 3 日前
- 読了時間: 5分
更新日:3 日前

最近、遠隔サポートや空間の話を書くことが増えたせいか、
「昔から、そういう世界に興味があったのですか?」
と聞かれることがある。
正直に言えば、興味があったというより、
気づけば、生まれる前からその世界の中にいた。
そんな感覚の方が近い。
母方の祖母が、ある“先生”に深く傾倒していた。
通称、
「築地の先生」
と呼ばれていた方だ。
日蓮宗系の流れを汲む宗教法人で、息子さんはスポーツキャスターの角澤照治さんである。
(一度だけ、角澤アナウンサーが結婚後、奥様を連れて挨拶に来ていたのを見たことがある。後にも先にも、その一度きりだった。)
記事などでは「実家はお寺」と書かれているが、実際は普通の一軒家を改装したような場所だった。
そこへ祖母は頻繁に通い、何かあるたびに「お伺い」を立てていた。
ちなみに、その「お伺い」は占星術のようなものではなかった。
私は実際に何度か体験しているので、その点だけは断言できる。
使われていたのは、いわゆる“霊能力”のようなものだった。
今、Netflixで『地獄に堕ちるわよ!』の名台詞とともに再び話題になっている細木数子氏。
彼女が、生涯深く影響を受けた人物の一人として知られているのが、思想家・安岡正篤氏だ。
安岡正篤といえば、戦後日本を代表する陽明学者・思想家であり、
吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳など、多くの歴代総理が師と仰いだ人物としても知られている。
政財界に極めて大きな影響力を持っていた存在だ。
そして、「築地の先生」は、その安岡正篤氏を深く信奉し、師匠と仰いでいたと聞いている。
もちろん、子供だった当時の私は、そんな背景など何も知らなかった。
ただ、
“大人たちが本気で頼っている場所”
という空気だけは、強く感じていた。
実は、「祐紀」という私の名前も、生まれる前に「築地の先生」へお伺いを立てて決められたものらしい。
つまり私は、名前を持つ前から、すでに“見えない世界”に片足を突っ込んでいたことになる。
そう考えると、今自分がこういう仕事をしているのも、不思議な流れだ。
母親は東京出身だった。
しかし結婚を機に京都へ移住することになった。
当初は「3年だけ」という約束だったらしい。
だが、その約束は反故にされ、結局20年近く京都で暮らすことになった。
母にとって、それはかなり辛かったようだ。
だから長期休みになるたびに、姉と私を連れて東京へ戻っていた。
春休み。
夏休み。
冬休み。
ゴールデンウィーク。
新幹線に乗り、京都から東京へ向かう。
それが我が家では半ば恒例行事だった。
祖父母の本宅は真鶴にあった。
かなり裕福だったと思う。
だが東京で用事が多かったため、目黒にマンションを10年以上借りていた。
私たち家族も、そこによく泊まっていた。
だから今、自分が目黒にサロンを構えていることに、不思議な縁を感じる時がある。
東京へ行くと、まず最初に向かう場所が決まっていた。
「築地の先生」のところだ。
そこでお参りをし、その後、脳出血で半身不随になっていた父方の祖父のお見舞いへ行く。
この二つが、東京へ行った時の“重大行事”だった。
子供の頃の私は、「築地の先生」という存在をかなり恐れていた。
悪いことをすると全部見抜かれる。
そんなふうに大人たちから言われていたからだ。
もちろん今思えば、そんなことが本当にあるわけではない。
だが、子供にとっては十分すぎるほどの抑止力だった。
どこか、
“常に見られている”
ような感覚があった。
実際、「お伺い」というものを直接経験したことは、30年近い関係の中でも数回しかない。
ただ、今でも一番よく覚えている出来事がある。
結婚前、妻との相性を見るために「お伺い」をしてもらった時のことだ。
名前と生年月日を書いた瞬間、「築地の先生」は開口一番こう言った。
「3人姉妹の真ん中だね。」
「でも、実際は彼女が長女みたいなものだ。」
私はかなり驚いた。
実際、その通りだったからだ。
妻の姉は、生まれた時からホルモン注射が必要だった。
だから長女として家族を支えるどころではなく、自分の健康が第一だった。
結果的に、妻が自然と“長女役”を担っていた。
昨年、お義母さんが亡くなった時も、事務的なことはほとんど妻と三女が取り仕切っていた。
今振り返ると、あの時の言葉は、かなり本質を突いていたのだと思う。
世の中には、やはり“本物”がいる。
こういう経験を何度かすると、
「信じる・信じない」
という話ではなくなる。
ただ、
「ああ、こういう世界は確かに存在するのだな」
と思うようになる。
不思議なことに、今となっては、自分自身が“そういうことをする側”になってしまった。
ただ、実際にやっている側になると、案外淡々としている。
特別な感覚というより、
静かに観察している感覚に近い。
祖母が亡くなってからは、「築地の先生」のところへ行くこともほとんどなくなった。
一番頻繁に通っていたのは、京都から東京へ引っ越すまでの14年間だったと思う。
夏に行くと、時々「築地の先生」が体調を崩していて、お参りできないことがあった。
当時は理由がよくわからなかった。
今思えば、いわゆる“くらっている”状態だったのかもしれない。
だが、本当のところはわからない。
だから私の幼少期には、常にどこか「築地の先生」の存在があった。
見えない世界。
見えない力。
見えない視線。
もちろん、それを盲信するつもりはない。
だが、
“見えないからこそ、人は影響を受ける”
ということは、確かにある気がする。
そして、それは“本物”であることが大前提なのだと思う。
最近は、身体だけではなく、その人を取り巻く空間や感情、人間関係を見ることが増えてきた。
もしかすると、その感覚の原点は、幼少期のあの空気の中にあったのかもしれない。
遠隔サポートや空間サポートについては、こちらで詳しく書いています。
松岡祐紀



コメント