『Drive My Car』

カラダナオル継続会 2026年8月19日(水)
今日の武蔵小山は、木村店長が夏期休暇で不在でした。
店主がいなくても、にぎやかに集まってしまう継続会。今日も新人のH嬢を迎え、リアルとオンラインともに満員御礼です。
「最近、世の中に体調のすぐれない人、疲れ切ったような人が多いですよね」
そんな松岡先生の見立てから、全メンバーが背負っているものを、背中や胸から外す施術が始まりました。
先生が手でさするだけで、皆さんから悲鳴が上がります。久しぶりに、ハットリさんの苦悶する姿を見ました。
施術後は、荷物を下ろしたようにすっきりします。
私たちは、一体何を背負っているのでしょう。重積ではなく、重責でしょうか。
松岡先生の直近の患者さんにも、何でもマルチタスクでこなせる、いわゆる「仕事のできる方」がいらしたそうです。不眠不休で働く中、さらに別の仕事まで引き受け、その相手へ親身になり、同情し、共感しすぎたのかもしれません。
その負荷が、不整脈という形で身体に現れていました。
人間には、それぞれ決まった積載量があるのだと思います。それ以上に積めば過積載です。いつか荷物が転げ落ちるか、車そのものへ負担がかかります。
自分の荷物だけを運んでいればよいのに、私たちは「他人の荷物」まで積んでしまいます。
「長女の目の調子が」
「次男のネガティブな性格が」
「90歳を過ぎた母に、どう手当てしたらよいのか」
参加メンバーも、全員が身近な人の荷物を背負っています。
夫、妻、父、母、息子、娘、社員。皆さん、それぞれの役柄の名札をつけています。
責任感があり、優しいのです。そのあまり、他人の心配や不安まで背負い、自分の身体を重くしています。
私は朝起きると、まず11歳の末っ子と84歳の母を思います。
今日1日、元気で楽しく過ごせますように。それから少しずつ、ほかの家族や親族を思い浮かべ、彼らに困ったことがないか考えます。
それが、いつの間にか習慣になっています。
こう言うと家族思いの人のようですが、実際は黒子のように陰でバタバタと動いては、心の中で「やってらんないよ」と叫ぶ、三男に言わせると「ダルい人」なのです。
良き妻、母、娘でありたいと思い、他人の荷物を無断で積み込み、積載量オーバーの法令違反です。
「お母さんがやる前に、私がやってあげないと」
「夏休みの宿題、あと少しやらないと」
末っ子のダンスレッスンにも、同伴しなくてよいのに同伴し、「もう少し右手を気をつけたら?」と、素人なのにアドバイスします。
本当に「ダルい」です。
自己犠牲は格好悪いと、あれほど言っていたのに。
これは自己犠牲ではない。
好きでやっているのだと言いながら、人の荷物を取り上げていました。
スイスイと自由に生きる大学生の三男を心配すると、即座に「ダルっ」と言われます。
そこで私は、弱者だと勝手に決めつけた母や末っ子を狙い、荷物を取り上げていました。
そうするうちに、自分の軽トラックは整備不良でボロボロになります。
そして「ママ、大丈夫?」となるのです。
レッカー車のように、人の車ごと引いていこうとしていました。
人は、自分の車で生まれ、自分がドライバーとなって生きていくのですよね。
母には母のルートがあり、末っ子には末っ子のルートがあります。私は、たまたま同じ時代に、近くを走っているだけなのです。
人間の悩みのほとんどは人間関係だといいます。
それも遠くの人ではなく、身近な人たちとの関係です。
チェーホフの『ワーニャ叔父さん』も、身近な人々に失望します。
そして最後に、他人の人生は他人のものであり、それが真実なのだと気づき、静かに自分の日常へ戻っていきます。
人の人生に期待したり、失望したりすることは、傲慢なのかもしれません。
その人は傷つくかもしれない。それでも、自分の道を生きています。そのことを尊重しながら、お互いの道を走ればよいのですね。
Drive My Car
まず、自分の車である身体をいたわる。ドライバーである意識を整える。
「誰か困っていないかな」とキョロキョロしながら運転することは、ただのあおり運転でした。
「母です」
「妻です」
「長女です」
「仕事は何でも引き受けます」
そんなステッカーを、車にベタベタ貼りつけて走っていました。
荷物を軽くして、颯爽と自分の旅を楽しめばよいのです。
サービスエリアで集まったら、それぞれの旅の話をしましょう。
自分の旅を客観的に見つめる。そんな、痛くてすっきりした時間でした。
継続会には、優秀な整備士がそろっています。
イノハナハルコ
次回は、9月29日午後6時30分から、木村商店で開催します。



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