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他人には厳しく、自分には優しく

  • 執筆者の写真: Admin
    Admin
  • 4 時間前
  • 読了時間: 4分

昨日、8月22日に開催する藤原直哉先生との対談の案内を見て、二名の方が初めてお越しになった。


お二人とも、これまで原因がはっきりしない身体の不調を抱えていた。



お一人は女性だった。

一年ほど前、左足首が大きく腫れ、38度の発熱があった。


その時は、偽痛風と診断されたという。

症状は二週間ほどで治まった。


ところが今年五月、今度は全身に蕁麻疹が現れ、顔が普段の一・五倍ほどに腫れた。

この時は病院を受診しなかったが、やはり二週間ほどで治まったという。


そして六月下旬、再び左足首が腫れた。

その一週間後には、右足首も腫れた。


38度の発熱が三週間ほど続き、足首の腫れは現在も完全には引いていない。


痛む場所も、その時によって変わる。

体重をかけることも難しい状態だった。



外に出たのは、一ヶ月ぶりくらいだという。

お越しになった時には、まっすぐ立つことができなかった。


その場で足踏みをすることも難しかった。

症状の経過は複雑である。


私には、これが原因だと診断することはできない。


高熱や腫れを繰り返している以上、医療機関で原因を調べることも必要である。


施術でできるのは、目の前にある身体を見て、今起きている緊張や動きの偏りを一つずつ整えていくことだ。



身体全体を確認すると、いくつもの場所で動きが止まり、つながりが失われているように感じた。


そこに感じられた引っかかりを、一つずつ丁寧にほどいていった。

しばらく施術を続けたあと、もう一度起き上がってもらった。


今度は、まっすぐ立つことができた。

両足での足踏みも、その場では問題なくできるようになっていた。


もちろん、この変化だけで原因がわかったわけではない。


症状が治ったと判断することもできない。

それでも、先ほどまで難しかった動きができるようになったことに、ご本人も驚いていた。

私も、身体が見せた変化を興味深く感じた。



もう一人の身体からは、また別のものが見えてきた。



一緒にお越しになった男性は、一年半ほど前から、両肩、膝、手首に痛みがあった。


痛む場所は、時期によって移動する。

神経痛のような痛みを感じることもあるという。

この方の身体を見た時、私は女性とは違う印象を受けた。


多くの人から頼りにされ、その期待に応え続けてきた身体のように見えた。



胸のあたりに、強い詰まりが感じられた。


「まず、ここを整えてみましょう」


そう伝え、胸のあたりへ軽く手を当てた。


強く押したわけではない。

しばらく触れていると、詰まっていたものが少しずつほどけていく感覚があった。


そこで起き上がり、身体の状態を確かめてもらった。


両肩には、もう痛みを感じないという。

膝にはまだ少し違和感が残っていたが、

「先ほどより、かなり楽です」

と話していた。


さらに施術を続けると、残っていた痛みも少しずつ和らいでいったという。


これも、その日、その場でご本人が感じた変化である。


この先どうなるかは、私にもわからない。



私はその男性に、

「他人には厳しく、自分には優しくしてください」

と伝えた。


普通は、反対のことを言われる。


自分に厳しく。

他人には優しく。


けれど、この方には、その言葉は必要ないように思えた。


私には、すでに十分、自分に厳しい人のように見えた。


そして、周囲の人には丁寧で、優しく、親切に接している方なのだろうと感じた。

人から頼られれば応える。


自分が疲れていても、誰かのために動く。


もしそれを続けているのであれば、自分の身体はいつまでも後回しになる。



自分を大切にすることは、身勝手になることではない。


他人を見捨てることでもない。


自分の身体が壊れるまで誰かに尽くすことだけが、優しさではないと思う。

時には頼まれたことを断る。


無理なものは、無理だと言う。


人に向けている思いやりの一部を、自分にも向ける。

それくらいで、ちょうどよい人もいる。



他人に優しくすることは大切だ。


けれど、自分を犠牲にし続ける必要はない。


自分に厳しくすることを、もう十分続けてきた人もいる。


そういう人には、反対の言葉が必要なのだと思う。


他人には、少し厳しく。

自分には、もう少し優しく。

 
 
 

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