top of page
検索

無自覚を、自覚に変えていく

  • 執筆者の写真: Admin
    Admin
  • 6月29日
  • 読了時間: 3分

先日、二ヶ月ぶりにディエゴとアルダナのレッスンを受けた。


別に、こちらがサボっていたわけではない。


彼らがヨーロッパ、アジアとツアーに出ていて、日本にいなかったのだ。


その間も、自分なりに練習はしていた。


タンゴも踊っていた。


それでも、やはり彼らのレッスンは特別だと思う。



これまで、多くのプロのタンゴダンサーと踊ってきた。


もちろん素晴らしい人もたくさんいる。


ただ、中にはどうしても、


「踊ってあげている」


という感じが出てしまう人もいる。


プロだから当然うまい。


身体も動く。


技術もある。


でも、どこかでこちらが観客になってしまう。


一緒に踊っているようで、実は相手の踊りを体験しているだけになる。



アルダナは、そこが違う。


私と踊ったあと、彼女はいつもディエゴに聞く。


「私たちの踊り、どうだった?」


というような感じで。


そこに、少し驚く。


彼女にとってタンゴは、本当に二人で踊るものなのだと思う。


リーダーとフォロワー。


どちらか一人の踊りではない。


二人の間に、踊りが立ち上がる。


彼女は、いつも開かれている。


相手に対して。


その場に対して。


音楽に対して。


だから、こちらが出した小さなリードも、彼女の身体を通ると、踊りとして返ってくる。


それが、彼女にとってはとても自然なことなのだろう。


踊るたびに、


「楽しかった」


「すごく楽しい」


と喜んでくれる。


そう言われると、こちらも単純なので嬉しくなる。


もっといいリードを出したいと思う。



最近、タンゴの上達とは何かをよく考える。


今のところ、私にとって上達とは、


無自覚を自覚に変えることだ。


自分ではやっているつもりがないこと。


自分では見えていない癖。


自分では当たり前になってしまっている身体の使い方。


それを、彼らは淡々と見つける。


そして指摘してくれる。


そこを直す。


また踊る。


また指摘される。


その繰り返しだ。


以前は、ほとんど褒められることなどなかった。


それが最近は、少しずつ褒めてもらえるようになってきた。


単純なものだが、それだけでまたやる気になる。


タンゴの道は、なかなか終わらない。


むしろ、少しわかってきた頃に、また先が長いことに気づく。



彼らはまた、七月の上旬から二ヶ月ほど、アジア、そしてアルゼンチンへ旅立ってしまう。


またしばらく会えない。


だからこそ、今回のレッスンで持ち帰った宿題を、しばらく自分の中で育てていくしかない。


無自覚だったものを、自覚へ。


自覚したものを、身体へ。


身体に入ったものを、踊りへ。


そうやって、少しずつ進んでいく。


たぶん、それしかないのだと思う。

 
 
 

コメント


​© 2026 KaradaNaoru

bottom of page