「だから何?」という核弾頭
- Admin
- 6月2日
- 読了時間: 2分

今日、ふと思った。
「だから何?」という言葉は、核弾頭なのではないかと。
例えば、あなたが今、一番情熱を注いでいることがあるとする。 仕事でもいい。趣味でもいい。
人生をかけた夢でもいい。
友人やパートナー、仕事仲間に向かって、そのことを熱く語る。 なぜそれをやろうと思ったのか。 どんな未来を目指しているのか。 どれだけ苦労してきたのか。
そうしてひとしきり話したあと、相手が一言こう言う。
「だから何?」
これだけで、人間関係は終わる。 少なくとも、その瞬間に、心のどこかは焼け野原になる。
もちろん、本人に悪気はないのかもしれない。 論理的な人なら、「結局、何が言いたいの?」という意味で使っただけ、ということもあるだろう。
けれど言葉は、発した側ではなく、受け取った側で意味が決まる。
だから私は、人前で話すときや文章を書くとき、できるだけ言葉の定義を意識する。 この言葉を、どんな意味で、どんな意図で使うのか。
それでも、誤解はなくならない。
というより、言葉という性質上、誤解は避けられない。
だから人は、言葉では伝えきれないものを表現するために、芸術を生んだのだと思う。
踊りは、言葉にできないものを、身体で伝えようとする試みだ。
文学ですら、言葉そのものを伝えているわけではない。 言葉が呼び起こす感情や情景を通して、本当に伝えたいものへ近づこうとしている。
言葉にした時点で、虚偽である。
本当に伝えたいものと、実際に口にした言葉のあいだには、いつも小さな断絶がある。
その断絶を通して、人は知らず知らずのうちに誰かを傷つける。 あるいは、自分自身を傷つける。
それが積み重なって、心や身体の不調につながることだって、あるのかもしれない。
だからこそ、自戒を込めて思う。
「だから何?」は、使ってはいけない言葉ではない。
ただ、使う場所を間違えると、一瞬で相手の世界を焼き払ってしまう。
まるで核弾頭のように。
だから、そのボタンを押す前に、一度だけ考えたい。
——本当に今、その言葉は必要だろうか、と。



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