「与えすぎる人」の話ーカラダナオル誕生秘話5
- Admin
- 5月28日
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アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスにまだ住んでいた頃のことだ。
当時、「カウチサーフィン」というサービスを見つけた。
空いているソファや部屋を旅行者に提供し、自分が海外へ行った時には、今度は誰かに泊めてもらう。
まだAirbnbがここまで一般化する前の、どこか牧歌的で、理想主義的な空気をまとったサービスだった。
その発想が面白いと思った私は、早速、自宅を開放することにした。
久しぶりに当時のブログを読み返してみた。
2012年1月の記事だから、もう14年近く前になる。
それでも、不思議なほど鮮明に覚えている。
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最初に泊まりに来たのは、オランダ人のルーカスくんだった……と、ずっと思っていた。
だが、調べてみると実際の第一号は、ドイツ人のカトリンさんという女性だったらしい。
ところが、彼女のことはほとんど記憶に残っていない。
今思えば、それはたぶん「何の問題もなかった」ということなのだろう。
日本に住んでいた経験もあったようで、日本語も多少話せたらしい。
妻とのコミュニケーションも自然だったのだと思う。
良い関係というのは、案外、記憶に強く残らない。
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一方、ルーカスくんのことは、妙に覚えている。
なぜなら、彼は全く帰る気配を見せなかったからだ。
こちらも悪かった。
「ウェルカムディナーだ」と言って、有名なステーキ屋へ連れて行き、ステーキをご馳走した。
毎日、食事も酒も出る。
宿泊費ももちろん無料。
今思えば、あまりにも“至れり尽くせり”だった。
結局、妻の堪忍袋の緒が切れた。
そして、私自身も疲れてしまった。
もしそこで深い友情が始まっていたなら、また違った話になっていたのかもしれない。
だが、彼とはそれっきりだ。
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人は、甘やかされると、どこまでも甘える。
そして私は昔から、「与える」ことがあまりにも当たり前になっている。
これは間違いなく、父から受け継いだDNAなのだと思う。
もちろん、相手に節度があれば、それほど問題にはならない。
だが、時々いる。
こちらの善意を「どこまででも使おう」とする人が。
そういう相手に出会うと、こちらはどこまでも消耗していく。
振り返れば、このパターンは人生で何度も繰り返されてきた。
骨の髄までもはやそういうものでできているのだから、いまさら性質を変えるのは難しい。
だから最近は、ようやく少しだけ分かってきた。
「与えること」そのものをやめる必要はない。
ただ、その矛先を、丁寧に選ばなければいけないのだと。
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長年連れ添っている妻から、昔こんなことを言われたことがある。
「あなたは、自分で思っている以上にいい人だから、騙されやすい。気をつけた方がいい」
……返す言葉もなかった。
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▼ 当時のブログ記事



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