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昭和の男

1 日前
読了時間: 2分

一昨日の日曜日、父を火葬にした。


家族だけで行う予定で、火葬場でちょっとしたセレモニーをする予定だったのだが、父の兄弟姉妹、さらにその息子、娘さんたちが集まり、結局20名ほど集まった。




棺に入れて、最後火葬する段になって、父の無二の親友である男性が、「おい!松岡!待ってろよ!おれもすぐ行くからな!」と言った。




小学校から一緒に過ごし、80年近くも付き合いがあった人だ。その言葉はとても重かった。




そのあと、親戚一同、一緒に会食をした。


目の前に座ったのは、父の妹夫婦だったので、昔のことを色々と聞いてみた。




ご主人は父と同じ会社に30年勤務したので、昔の事情にも詳しかった。




「お父さんはすごい人だった!」


「数々の武勇伝がある!」




そんなことを聞いたが、正直ピンと来なかった。


子供の頃、父は家にいなかった。


休みは月一回程度だったので、かなりのレアキャラだ。




まともに話したのは中学2年の時に東京に引っ越して、それから高校生の時に一人で京都に遊びに来た時ぐらいだ。




それから自分はイギリスにいっていたし、父が61歳で退職するまであまり関わっていない。




それでも要所要所に出番はあったが、母とは違い、どこか異質の存在だった。


仕事にしか興味のない人だったし、親子関係を築くのは難しかった。




毎年、誕生日祝いをしたが、2年前の誕生日にプレゼントを渡すと、「ああ」と言い、母に「ありがとうでしょ!」と怒られていた。




また最後の誕生日となった今年の誕生日、父にプレゼントを渡すと、「すいません」と言った。




本当に昭和の男は使えない。


家族に感謝を表すのが照れくさいのだろう。




ただ、最後、死の前日に父が心配だったので、神奈川まで会いに行った。


明らかに水分不足だったので、経口補水液を買って持っていった。


そして、食べやすい水炊きと雑炊も作った。




父はほとんど食べられなかった。


また経口補水液を買い続けるのは現実的ではないので、その代わりとなるものを食塩と砂糖で作れるようにレシピを書いて、それを父に渡した。




そこで父は私に「ありがとう」と言った。


奇しくも父の私に対する最後の言葉が、ありがとうだった。




そんな父と私とのやりとりを母が嬉しそうに見ていた。


最後の最後に辻褄を合わせた・・・・そんな感じだった。

 
 
 

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