父を海へ送る

この3年で、3人の家族を見送った。
先日は、父だった。
人の死は、どこか劇的である。
それまで続いていた日常が突然終わり、家族が集まり、いろいろなことを決める。慌ただしく時間が過ぎていく。
しばらくすると、それはとても静かな記憶に変わっていく。
父とは、普段からそれほど頻繁に会っていたわけではない。
ひと月か、ふた月に一度。ここ最近は母を毎月病院へ送っていたので、そのたびに顔を合わせていた。
だから、私の日常が大きく変わったわけではない。
毎日一緒に暮らしていた母とは、父がいなくなったことの感じ方も違うのだと思う。
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父は、正式な遺言書を残したわけではない。
生前から、こう言っていた。
「死んだら、骨は海に撒いてくれ。墓はいらない」
その希望に従って、来月、家族で葉山の海へ散骨に行くことになった。
父が、海に散骨するという、どこかロマンを感じさせることを望んでいたのは意外だった。
ただ単に、お墓代をケチったのかもしれない。
本当のところは、もう分からない。
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父と母は、父が京都、母が東京という形で、16年間別々に暮らしていた。
別居というと大げさに聞こえるが、東京生まれ、東京育ちの母が、東京へ戻りたかったというのが実情だった。
私が中学2年生のとき、母と姉と私の3人で東京へ引っ越した。
母自身の希望で家族が離れて暮らすことになったのを、私はあまり納得していなかった。
高校生になってから、夏休みを利用して、京都の父のところで1か月ほど過ごしたことがある。
その間、父とは毎日のように話した。
それでも、結論は変わらなかった。
今となっては、あの1か月もいい思い出である。
姉も大学時代には、父によく会いに行っていた。
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あのとき、そのまま離婚するという選択もあったのだろう。
しかし、父は頑として離婚しようとしなかった。
本籍を移すことさえ渋った人である。
私の本籍も、結婚するまで、父の生まれ故郷である愛媛の大三島のままだった。
頑固な人だった。
それでも、父が退職し、再び母と暮らすようになってからのことを思うと、離婚しなくてよかったのかもしれない。
いろいろあったにせよ、最後には、二人で暮らすことにお互いが納得していたように見えた。
私たち家族にとっても、二人が一緒にいてくれることは安心だった。
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これからは、残された母のことが気になる。
今のところ、一人で生活はできている。
近くに住む姉がよく様子を見に行ってくれるので、とてもありがたい。
私はこれからも、毎月の病院への送りを続ける。
それだけでなく、もう少し会いに行く回数を増やしたいと思っている。
父の死が静かな記憶になっていく一方で、母との時間は、まだ続いている。



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