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道具に使われるなーカラダナオル誕生秘話⑦

  • 執筆者の写真: Admin
    Admin
  • 6月3日
  • 読了時間: 4分

昨日、あるお客様がCS60を持ってサロンを訪れた。


CS60というのは金属のデバイスで、

「これを持てば誰でもゴッドハンドになれる」

と紹介されている道具だ。


私自身も2018年から2022年まで使っていた。

だから良いところも悪いところも知っている。



ただ、一つだけずっと違和感があった。

施術しているのは人なのに、

結果が出ると、

「CS60がすごい」

という話になることだった。



それと、もう一つ。

擦るだけの施術なのに、私が使うと、なぜか激痛が走った。


その痛みは尋常ではなく、

いつしか私は「日本一痛い施術者」などと呼ばれるようになった。

正直、嬉しい呼び名ではなかった。


人を痛がらせたいわけではない。

ただ、より良い結果を出したかっただけだ。



だから私は考えた。


どうすれば痛みを出さずに、結果を出せるのか。

その答えを探すうちに、ミルトン・エリクソンの催眠療法に辿り着いた。

独学で学び、試行錯誤を重ね、

さらに、自分自身の意識の使い方を学んでいった。


すると、同じ変化が起きても、痛みはほとんどなくなった。

最終的には、痛みをほぼゼロにまでコントロールできるようになった。



そのとき、はっきりと分かった。

結果を変えたのは、道具ではなかった。

私自身の在り方が変わったのだ。



もちろん、道具には価値がある。


包丁がなければ料理はしにくい。


鍼がなければ鍼灸はできない。


パソコンがなければ文章を書くのも不便だ。


だから私は、道具を否定したいわけではない。



むしろ逆だ。

道具は素晴らしい。


問題は、

人が道具を使うのか、

それとも道具が人を使うのか、

その違いだと思っている。



私は長年施術をしてきた。

その中で強く感じるのは、

結局のところ、

人が人を治すことはできない、

ということだ。



施術者はきっかけを作ることはできる。

方向を示すこともできる。

寄り添うこともできる。

しかし最終的に変わるかどうかを決めるのは、

いつだって本人自身だ。



だから私は、

本当に大切なのは道具ではなく、

その道具を使う人の在り方だと思っている。



そしてこれは、何もCS60に限った話ではない。

おそらく人類の歴史の中で、

同じことは何度も繰り返されてきた。



ある時代には、

それは宗教という形で現れた。

この教えさえ信じれば救われる。

この神を信じれば幸せになれる。



またある時代には、

思想やイデオロギーという形で現れた。

この主義だけが正しい。

この考え方だけが世界を救う。



そして現代では、

AIという形でも現れ始めている。



AIが答えを出してくれる。

AIが判断してくれる。

AIが未来を予測してくれる。



確かにそれは便利だ。

私自身も毎日のように使っている。



しかし、

だからといって、

自分で考えることをやめてはいけない。



どれほど優れた宗教も、

どれほど優れた思想も、

どれほど優れたAIも、

最後に人生の責任を取ってくれるわけではない。



最終的な判断を下すのは、

結局のところ人間自身だからだ。



それは、自由と言い換えてもいい。



自由とは、

好き勝手することではない。

自分で考え、

自分で選び、

その結果を引き受けることだ。



その自由を手放した瞬間、

人は楽になるかもしれない。

しかし同時に、

主体性も失ってしまう。



私は宗教的な人間だと思う。

目に見えないものの存在を感じる。

縁や祈りや直感を大切にしている。



しかし、

宗教は信じない。


何か絶対的なものを信じ、

自分で考えることをやめ、

主体的に生きることを放棄するなら、

それは違うと思っている。



この世には、

割り切れないことがたくさんある。

だからこそ人は考える。

悩む。

迷う。

そして選ぶ。



それが、人間であることの意味なのかもしれない。



道具は使えばいい。

宗教も学べばいい。

AIも活用すればいい。



ただし、

それらに人生のハンドルを渡してはいけない。



ハンドルは、常に自分で握る。


それが主体性であり、

自由であり、

そして私たちが最後まで守らなければならないものだと思っている。



幸いなことに、

私の周りには同じような志を持つ仲間たちがいる。

誰かを崇拝するのではなく、

共に学び、

共に考え、

共に成長していこうとする人たちだ。


これからもそんな仲間たちと、

自分の足で歩いていきたいと思う。

 
 
 

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