文句を言いながら、国を愛するアルゼンチン
- Admin
- 7月22日
- 読了時間: 4分

現在の気温は、37度を超えている。
外へ出ることさえ、ためらう暑さだ。
私はお客様に運動を勧めることがある。
けれど、今日のような日に外を歩くことは勧められない。
できるだけ家の中で、静かに過ごす。
動かないことも、時には身体を守るために必要なのだと思う。
⸻
いつから、日本の夏はこれほど暑くなったのだろう。
2011年、私はブエノスアイレスで夏を過ごした。
30度を超える日もあったが、湿気が少なく、日本の夏よりもずっと過ごしやすかった。
それでも、アルゼンチンの人たちはよく文句を言っていた。
天気。
政治。
隣人。
頻繁に止まる電気。
なかなかつながらないインターネット。
そして、どうにもならないインフレ。
何に対しても怒り、何に対しても不満を口にしていた。
少なくとも、当時の私にはそう見えた。
⸻
あまりにもインターネットが止まるので、スペイン語の先生に愚痴を言ったことがある。
すると先生は、真顔で言った。
「アルゼンチンでは、怒らないと何も進まない」
自分の意見を通したければ、怒る。
問題を解決してほしければ、強く抗議する。
静かに待っていても、誰も動いてくれない。
だから常に怒り、クレームを言い続けなければならないという。
面倒な国だなと思った。
⸻
部屋の電気工事を頼んだ時には、電気屋さんから突然、忠告を受けた。
「アルゼンチン人が言う“アミーゴ”を信用するな」
彼のおばあさんの家に、ある日、親戚がやって来たという。
「アミーゴ、アミーゴ」
そう言いながら家に入り、そのまま住み始めた。
家賃を払わない。
電気代も、ガス代も払わない。
それでも、ずっと住み続けている。
「だから、アミーゴと言う人間を信用してはいけない」
ただ部屋に電気を通しに来た人から、なぜこんな話を聞かされているのだろうと思った。
けれど、彼はとても真剣だった。
⸻
今回のワールドカップを見ていて、そんなことを次々と思い出した。
アルゼンチンとスペインの決勝戦が終わったあと、両チームの選手が衝突し、FIFAが調査を始めたと報じられた。
試合の前には、ニューヨークのタイムズスクエアが、アルゼンチンサポーターの青一色に染まった。
ものすごい熱狂だった。
その後、ごみが散乱した路上の映像まで流れてきた。
もちろん、一部の人の行動だけで、一つの国全体を語ることはできない。
それでも、その激しさを見ていると、ブエノスアイレスで出会った人たちのことを思い出さずにはいられなかった。
⸻
勝てば、自分たちの力。
負ければ、誰かのせい。
私には、そう見えることが何度もあった。
けれど、それは単なる身勝手さではないのかもしれない。
怒ることそのものが、生きる力になる。
そういう社会も、あるのだろう。
⸻
アルゼンチンは、何度も経済危機を経験してきた。
インフレは人々の暮らしを脅かし、政治も社会も、なかなか安定しない。
それでも、メッシを生んだ。
タンゴを生んだ。
美味しい赤ワインがあり、赤身の肉がある。
そして人々は、文句を言いながら、自分たちの国を強く愛している。
あれほど怒り、あれほど不満を言いながら、なぜあれほど国を誇りに思えるのだろう。
今でも、よくわからない。
もしかすると、文句を言うことも、その国と関わり続ける一つの形なのかもしれない。
どうでもよければ、怒ることさえない。
愛しているからこそ、腹が立つ。
そんな感情もあるのだろう。
⸻
私は日本人なので、彼らの考え方に共感できないことも多い。
怒り続けなければ物事が進まない社会では、きっとすぐに疲れてしまう。
アルゼンチンの熱狂を遠くから眺めながら、私は千葉の田舎で静かに暮らしている。
エアコンの音だけが聞こえる。
外は、まだ37度を超えている。



コメント