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義父との距離感

  • 執筆者の写真: Admin
    Admin
  • 6月18日
  • 読了時間: 3分

去年の3月2日、お義母さんが亡くなった。 大動脈解離だった。


あれから一年以上が過ぎた。 ということは、私たちが千葉県酒々井町での暮らしを始めてからも、それくらいの時間が経ったことになる。


正式に引っ越したのは7月だった。 それまでは東京と酒々井を何度も往復する日々だった。 住まいの部分を、ほぼ一から作り直していたからだ。


築50年の9DKの古民家だが、今ではずいぶん快適に暮らせている。 週に3回ほどは源泉かけ流しの温泉へ行き、身体を整える。


生活の質だけで言えば、中目黒に住んでいた頃よりも、はるかに向上したと思う。 妻はリモートワークなので、住む場所による影響はほとんどない。 もともと仕事の日は家から一歩も出ないことも珍しくない人だ。


私も夜にタンゴのレッスンやミロンガへ行く以外は、それほど都会的な生活をしていたわけではない。 それに目黒には今もサロンがある。 週の半分以上は東京へ出ているので、未練もない。



そして、この一年でお義父さんとの同居にも慣れた。


職人気質で、無口で、頑固。 82歳にもなれば、それは性格というより人生そのものなのだろう。


もう少し会話が弾めばとは思うが、それも仕方がない。


これまで、一日一回は話しかけようと努力していた。


だが最近は、その努力をやめた。

きっかけになった出来事がある。



先日、銀座シックスで催涙スプレーが撒かれたというニュースが流れていた。 夕食中だった。


それを見ながら妻が、昔の話を始めた。


私たちがブエノスアイレスに住んでいた頃、旅行で訪れたサンティアゴで、大規模な学生デモに遭遇したことがある。


催涙弾が発射され、かなり離れた場所にいたのに目が痛くなり、慌てて走って逃げた。

なかなかインパクトのある話だ。


南米で暮らしていたからこそ経験したことだと思う。

妻が話し終えると、お義父さんは静かに頷いた。


そして、それだけだった。

私は心の中で突っ込んだ。


それだけかい!」と。


今時のAIなら、映画にでもしてくれそうなツッコミどころ満載の話だ。 それなのに、静かな頷きが一つ。



その瞬間、なぜか少し肩の力が抜けた。 ああ、もう無理に会話を引き出そうとしなくていいのだな、と。


この話でも何も出てこないのであれば、自分にはどうしようもない。 しかもお義父さんは、私が話しかけても、返事をするときはなぜか私ではなく妻の顔を見て応える。


それはそれで構わない。 こちらも、いつまでも頑張り続ける必要はないのだろう。



日々、淡々と過ごしていく。 願わくば、お義父さんが大きな病気もなく、このまま穏やかに余生を過ごしてくれればいい。

ただ、それだけだ。


 
 
 

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