育てる人と、使う人
- Admin
- 7月18日
- 読了時間: 3分

今日は庭に出て、大葉を摘んだ。
少し前に収穫し、干してあったニンニクも一つ取った。
豚肉と合わせて、ペペロンチーノを作ることにした。
大葉も、ニンニクも、自家栽培である。
ただし、育てたのは私ではない。
すべて、お義父さんである。
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お義父さんが土を耕し、苗を植え、水をやる。
私は、その過程にはほとんど関わっていない。
気がつくと、庭に何かができている。
だから、自家栽培の野菜に囲まれて暮らしてはいるが、どこか部外者のような感覚がある。
自分で育てたわけではない。
けれど、収穫された野菜が台所へ入ってきた瞬間から、話が変わる。
料理を担当しているのは私だからだ。
育てるのは、お義父さん。
どう使うかを考えるのは、私。
私がいない時は、妻。
そういう分担になっている。
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自家栽培という言葉には、どこか穏やかな響きがある。
庭から必要な分だけ摘み、新鮮なうちに料理する。
そんな暮らしを想像する。
けれど、実際は少し違う。
野菜は、こちらの献立に合わせて育ってくれるわけではない。
採れる時には、同じものが一度に大量に採れる。
そして、お義父さんは育てる人なので、収穫したあとのことは、あまり考えていないように見える。
無事に育てば、それで一つの仕事は終わる。
そこから先は、料理をする人間の仕事になる。
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以前は、お義父さんが植えた玉ねぎが大量に採れた。
家だけでは使い切れず、いろいろな方にお渡しした。
そうして、何とかなくなった。
玉ねぎが終わったと思ったら、今度は大きなナスができている。
キュウリも次々に育っている。
今朝も一本かじった。
冷蔵庫には、まだ何本も入っている。
庭には、次のキュウリが待っている。
漬物にする。
味噌をつける。
サラダに入れる。
それでも、なかなか減らない。
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大葉も、夏の間は次々に育つ。
ただし、虫もよく知っている。
少し油断すると、葉は穴だらけになる。
人間が使う前に、虫が食べている。
虫に食べられていない大葉を探すだけでも、案外苦労する。
今日も何枚か選んで摘み、細かく刻んでパスタにのせた。
干してあったニンニクも、しっかり香りが残っていた。
お義父さんが育てたものを、私が料理する。
それを三人で食べる。
考えてみれば、不思議な共同作業である。
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旬の野菜。
土地とともに生きる。
季節とともに暮らす。
どれも、聞こえのよい言葉だ。
都会に慣れた人間からすると、実際の暮らしは便利さから少し遠い。
虫もいる。
草も伸びる。
同じ野菜が一度に大量にできる。
食べたいものを選ぶのではなく、今あるものをどう食べるかを考える。
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それでも、自家栽培の野菜に囲まれていると、季節がよくわかる。
庭の季節が、家族の食卓へ入ってくる。
私はまだ、畑に関しては部外者に近い。
けれど、料理を通して、少しだけその輪の中に入っている。
今日のペペロンチーノにも、お義父さんが育てた、この土地の夏が入っていた。



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